伝統を守る 米五家の歴史

先祖は単なる過去の人ではない 己の生命(いのち)の中に今も生きている

初代多田 彦四郎

釋乗荷 貞亨4年9月13日没

寛文8年、徳川家綱の頃、元録文化はなやかしき時代に、勝見大米屋、多田善右ヱ門家より分れて一家を創設し、米屋を開業。当時の米屋は今の銀行に相当し、福井藩内の金融機関の一端をになっていた。
米五の本家、勝見大米屋(多田善右ヱ門景連)は、現在の菩提寺演仙寺の四代住職、願順の弟で、当時は武士として越前の野に転戦したが、豊臣徳川の時代となり天下和平の相を呈するや、福井城下にて米屋を営み、越前の金融機関の中心となった。
本家大米屋のニ代目の頃、多田彦四郎が米五家を別立したのである。現在ある米五家の墓には、この本家の初代とニ代の夫婦の法名も彫り込んである。
これは、この墓を建立した人(恐らく三代目多田五右ヱ門と思われる)が、自家の系譜を明らかにする為に記入したものと思われる。従って、米五の初代は本家大米屋より数えて三代目に相当する。尚、福井名物「ばか囃子」の面は、この本家大米屋の善四郎が寄進したものである。